Deus ex machina

当面は過去に自分が書いた気に入った記事の貼り付け(2012.9.9~)

推理小説と社会体制

この間、NHK「そのとき歴史が動いた」の江戸川乱歩の回を見ていたら、ゲストで登場した推理作家の森村誠一が面白いことを言っていました。
それで、ブログのネタにしようと思い、メモを取っていたのですが、それを、今さっき見つけ、すでに鮮度は落ちているのかも知れないけれど「書かなければ!」と思い、こうして記事を書き始めています。

曰く、
「推理小説というのは、民主主義の社会でなければ成熟しないものだ」
と言うのです。
共産主義国家、社会主義国家、名ばかりの民主主義国家では、推理小説は育たないという、その理由を聞いて、すごく納得しました。
細かいメモまでは取っていなかったので、番組の中でどういう言葉を使っていたか、忘れてしまったので、私なりに解釈し説明します。

仮に、某共産主義国家(あくまでも架空の国家です)で殺人事件が起きたとしましょう。
日本であれば、怪しいだけでは逮捕できません。(ワイドショーなどのカメラが一日中追い掛け回していたりはしますが)
参考人として任意に事情聴取することはできるでしょうけど、あくまでも任意です。
しかし、某共産主義国家では少しでも怪しいと思われる人間は全員連行です。
連行されたあとは・・・
おそらく、犯人が自白して事件は解決です。
どういう状況で自白したのかは、ご想像にお任せします、と言った感じでしょうか。

しかも、その自白した犯人が本当の犯人とは限ないのです・・・

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「ぼたもち」の春夏秋冬

先ほど「棚から牡丹餅(ぼたもち)」という言葉についての記事を書いたのですが、
「そもそも牡丹餅って、どんな食べ物?」
という当たり前の疑問からネットで調べてみるとWikipediaですごく面白い記述を発見し、思わず「牡丹餅でもう一つ記事を書こう!」という気になりました。

牡丹餅、私、普通に食べたことありました。
牡丹餅は四季で呼び方が変化する非常に日本的というか「和」を感じさせる食べ物だということがわかりました。

春は「牡丹餅」
夏は「夜船」
秋は「御萩」
冬は「北窓」

と呼び名が変わります。
秋の「御萩」というのは「おはぎ」のことです。
「なんだ、私食べてた!」
って感じです。
牡丹餅も夜船も御萩も北窓も、私は食べてました。

それにしても、なんて雅な食べ物でしょうか。

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たなぼた

棚から牡丹餅。
棚からぼたもち。
「ぼたもち」って牡丹餅って書くことを今知って、びっくりしています。
耳では知っていても、字は知らない言葉って、けっこうあるものです。

で、
先日、仕事中に思わぬ幸運があって「棚から牡丹餅とはこういうことだな」と思いながら、幸せをかみ締めていました。
でも、よく考えてみたら、この言葉って微妙なものを含んでいるなって思いませんか?
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冷たい水

ものすごく冷えた水って美味しいですよね?
普通はそう思うはずなのですが、これから私が書こうと思っているのは、実は冷たい水は美味しくないのでは? という話です。

生ぬるいオレンジジュースやコーラなどを飲んだことがありますか?
私は飲んだことがありますが、ひどく甘ったるいし、くどいし、気分が悪くなるような味がします。
それが冷たいと美味しいというのはどういうことなのでしょうか?

私が思ったのは、冷たいと舌が麻痺して味が薄く感じているのではないか? ということです。
果物なんかでも、あまりに冷やしすぎると甘さが足りなく感じることがあります。
これらのことから考えても、冷たいものは舌を鈍化させるのだと思います。

で、
冷たい水が美味しいと感じるのが、水本来の味が冷たくなっていることで鈍化しているからだと考えるならば、
「冷たい水は美味しいわけではない。味がしなくて、冷たいので喉あたりが気持ちよく、それが『美味しい』という表現になるのではないか?」
と私は思ったわけです。
「美味しい」という言葉は本来は味を感じたことによって得られる感覚です。
冷たい水は、味を感じない、あるいはほとんど感じないということなので、言葉遊び的には「美味しくない」となるわけです。

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虹(にじ)

虹は日本では7色ということになっています。
でも、世界的には6色だという話をご存知でしょうか?

実は日本の空に現れる虹は他の国の虹よりも1色多いのです。
というは冗談ですが、日本に生まれた私にとっては常識だったものが、実は世界の常識からは外れているという、ちょっと面白い話なんです。

ちなみに日本での虹の7色は
「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」
です。
子供の頃、
「セキトウオウリョクセイランシ」
と呪文のように繰り返し唱えて記憶したことを思い出します。
で、
世界ではどうかと言うと、
「赤・橙・黄・緑・青・紫」
となります。
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アンドロギュノスの心

アンドロギュノスとは、男性と女性、両方の肉体的な特性をもつ存在のことです。
ανδρογυνος(ギリシャ表記)
Androgyunous(英語表記)

日本語表記でいうと、
・アンドロギュノス
・アンドロギュヌス
・アンドロジナス

他に、
・ヘルマフロディトス
・エルマフロディット
・両性具有
・雌雄同体

様々な呼ばれ方をされていますが、要するに乳房が膨らんでいて、下半身には男性器と女性器の両方が備わっている人間のことです。
古代ギリシャ時代には、人間はもともと両性具有者として神によって作られ、後に男性と女性に分けられて現在に至るのだと信じられていました。
だからこそ、かつて一つの体であった男女は惹かれ合い、愛し合うようになったのだと古代ギリシャ人は言っています。
このエピソードはとても素敵だと思うのですが、古代ギリシャ時代の哲学者は、ことごとく弟子と同性愛の関係にあったと言われています。
「饗宴」の中で両性具有について言及したプラトンも例外ではありません。
プラトン自身は同性愛に走りながら、男女の愛の営みの根源を両性具有にこじつけるとは、ずいぶんいい加減な話だなと個人的には思います。
まあ、そのいい加減さこそがギリシャ人の性向なのかもしれない、と最近のギリシャがらみのニュースなどを見ていると感じたりもしますが。

また、天使や悪魔は基本的に両性具有とされています。
現在では両性具有は奇形の一種と見なされ、ほとんどの国では戸籍上は両性とは表記されず、何かしらの基準によって事務的に男性か女性のどちらかとして登録されてしまうようです。

かつて両性具有は完全な存在とされ、より神に近い存在と考えられていました。
今でも、両性具有者に対してそうした幻想や理想を抱いている人は存在していて、私もそんな一人だったりします。
ただし、幻想としての両性具有であって、男女両方の特徴を自分の肉体に備えたいとは思っていません。
真剣に考えて、そのような肉体で生まれたとしたら、幼少期にとんでもないトラウマを抱えてしまい、一生悩み続けてしまうのではないかと思うのです。
   ◆
「両性具有者は体だけではなく心も両性具有なのだろうか?」
それが子供の頃の私が心の性別について考えるきっかけでした。

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